水戸市堀町 堀町公園墓地にある
大正13年(1924年)9月21日、工兵第十四大隊第二中隊教官石上和中尉は、堀町練兵場(現在の堀原運動公園付近)において地雷電気点火演習に際し、部下3名を過って爆死させてしまった。
この事故の責任重大であることを感じて、大正14年11月28日午前6時頃、兵士爆死の現場において石上中尉は拳銃で自殺を遂げ、爆死した兵士3名の遺族に宛てて悲痛の想いを綴った遺書が残されていた。※東茨城郡誌(東茨城郡教育会著)による
碑文は漢文で書かれており、概ね上記の内容が刻まれている。
題字は、大隊長石井泰一書。碑文は、田口坎城撰竝書。
大正15年11月27日水戸工兵第十四大隊の将校や中尉の部下が中尉の一周忌に相談して建碑し、後世に伝えることとした。
石上中尉は年齢27歳、千葉県人。
とある
水戸市立図書館デジタルアーカイブにある水戸市平面図(昭和九年)によると、現在の堀原運動公園付近に陸軍練兵場があり、練兵場敷地内の南側一角に「石上中尉墓」の記載がある。そこが建碑された場所であろう。現在の地図と対照すると今は住宅街となっている。
練兵場内にあった石碑は、後に練兵場西側の陸軍墓地に移され、現在同所は堀町公園墓地となっている。
また水府異聞(網代 茂著)によると、この出来事は「あゝ石上中尉」として水戸の興行師房前銀月氏により映画化され水戸市内「泉館」で上映された。1時間の無声映画で、筑前琵琶法師・都築春弾の名調子に観客は涙した。
映画「あゝ石上中尉」についてJFDB日本映画データベースにて検索するも該当する作品はない。個人か小規模な映画会社で制作され、地元映画館のみの上映であったのかもしれない。
もしフィルムや弁士の台本が残っているのであれば是非見たい。