軍馬岩文の碑
碑文のあらまし
私は日露戦争に近衛騎兵連隊第三中隊の分隊長として従軍いたしました。遼陽会戦で追撃隊に加わり丁香屯(中国 瀋陽市于洪区付近?)で思いがけず敵に会い、乗っていた馬が先にたおれました。私は物陰によって敵兵に拳銃を乱射して事なきを得ましたが、後で馬を確かめてみると腹に弾五発をこうむっていました。明治37年(1904年)9月5日のことです。私は当時前線で突兵長という重い任務を全うし、後に功労者としていただきましたけれども、この馬が本当に私の身代わりとなってくれたのです。春、今ここに碑を建てて、猛馬岩文の魂を長く弔うものです。
明治45年(1912年)3月上院
陸軍騎兵軍曹勲七等功七級 矢島七之介 しるす
この石碑は、2022年5月まで茨城県水戸市渡里町 台渡里バス停近くの路地にありました。現在は水戸市立博物館に保管されています。
碑文は東茨城郡教育委員会著「東茨城郡誌」に記載があり、漢文で書かれています。上記碑文のあらましは自己流で読み下したもので正確な訳文ではありません。ご容赦ください。
日清・日露戦争で戦場にたおれた軍馬の慰霊碑は多いのですが、この石碑のように一頭の軍馬のためにだけ建てられた石碑は珍しいと思います。日露戦争の終戦から数年が経過し、経済的にも苦しかった時代です。個人が馬のために石碑を建てるには多くの苦労があったことでしょう。戦場で自分の身代わりとなってたおれた軍馬岩文への強い愛情を感じます。
地方自治体が刊行した書籍に記載がある石碑なので当時はよく知られていたようです。石碑についてのエピソードなどご存じの方はいらっしゃいますか。
建立にまつわる写真や記録、その他の資料などあれば見せていただければと願っております。
石碑の前を通ると軍馬岩文が寂しがっているように感じていました。主に会わせてあげたい。