幕末の水戸藩の状況が水戸藩士林忠左衛門以徳(はやしちゅうざえもんもちのり)に嫁いだ登世(とせ)を通して語られていく。幕末の江戸や水戸の町が登世の目をとおして鮮やかに通り過ぎていく。
登世の夫以徳がいう様に開国後の日本がとるべき道は単純な攘夷ではないのだ。藩を一つにまとめなければ先には進めない。けれども天狗党と諸生党、両者の隔たりは大きく、正論を吐けば裏切り者呼ばわりされる。水戸藩の行き詰まりが苦しく、登世の夫への思いが切ない。
諸生党市川三左衛門の冷酷さと、天狗党藤田小四郎の焦りと、歩み寄る気配さえない状況で行き場のない熱気が渦巻いている。時代の流れは早く刻々と変化している。対立と混乱で水戸藩は立ちゆかない。振り返れば自分にもどこかで似たようなことがあったかな。あのときの人の顔がふと思い浮かんだ。
両者の抗争の犠牲になった家族は悲惨であった。水戸市東台の赤沼牢屋敷跡に建つ「赤沼牢屋敷跡の由来の記」には、天狗党首領武田耕雲斎の妻子の最期が記されているが、作中で描かれる赤沼牢には、処刑の音が響き、血のにおいが漂っていて生々しい。
天狗党のことも、水戸藩の抗争のことも、過激な声に理性の声が押し潰されて破滅に進んでいくような、それは程度の違いさえあれ形を変えて今もどこかで起きている。
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
崇徳院の詠んだ恋の歌は、平和への願いのように感じられる。